盛岡市の三戸町

f0147037_2395224.jpg 盛岡市中央通2丁目付近の街灯。荒い塗装ごしに「三戸町」の文字をみることができます。行政上では今や使われなくなった地名ですが、中央通2丁目から本町通にかけての一帯はいまでも「三戸町」の名で通っています。
 冊子「とりら」創刊号で紹介した「白石神楽」(盛岡市上米内)も、もとは「三戸町」かその隣の「長町」に住んでいた修験から伝えられたといいます。
 もうひとつ岩手の民俗芸能にとって三戸町が重要なのは、盛岡周辺の剣舞の発生源となっていること。大念仏系の剣舞の祖となるものがこの地にあったのだそうです。剣舞というと農村部のものというイメージが強いのですが、それなりに当時から街だったと思われる三戸町で剣舞がおこなわれていたということに意外性を感じます。

※上記の内容に誤りがありました。正確には、
「盛岡市のある大念仏系の剣舞(高江柄念仏剣舞)が所蔵する伝書には、『三戸町 金右衛門』の名が書かれた、大念仏についての記録がある」

です。詳しくは十三日町と剣舞についての記事をご覧下さい。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-25 23:10 | 建造物・碑 | Comments(0)

桶。

「途中、ハギリ(桶)に水をはって冷やしたキュウリがふるまわれて、それが大した美味かった」
 冊子「とりら」第2号に掲載予定の原稿の一節。大ヶ生山伏神楽の師匠が語る「七夕」行事の想い出です。
 この箇所について、事務局MAさんから「『ハギリ(飯櫃)』としたほうがいいのでは」と指摘をうけました。なるほど。確かに「ハンギリ」でweb検索してみると「=飯櫃」とか「=馬にやる餌を入れる桶」といった説明がいくつか出てきます。でも、なんか「飯櫃」というのは師匠の話の雰囲気とちがうような・・・。

【師匠さんにきく】
 で、改めて師匠さん宅に話を聞きに行きました。絵を描いたり消したりしながら根ほり葉ほりきくと、
「んだ。ハギリってな。このくれえのやつだな」
と、直径3~4尺×高さ1.5尺ぐらいの大きさを示しました。それにご飯も入れてたの?
「だっれ。メシは入れねえの。タマナ洗ったり、そういうのに使うんだな。川があるところだばいいども、おらほは沢水ひいてたのだから、溜めて洗うのだから。洗濯のでねえ。洗濯のタライよりもっと大っきいのだ。だからヒヅ(櫃)でねえでば。ヒヅはデエドコ(台所)さおくの。ハギリはニワ(土間)さ置くのよ」
それじゃあ、馬にエサを喰わす桶とは違うの?
「そいづは別。エサ入れるのはもっと小さいの」

【まめぶさんにきく】
f0147037_2391321.jpg ウリうんこに詳しいまめぶさんに、参考にスシ桶を持参してきいてみました。
 やはりハンギリは「飯櫃」や「馬の餌入れ」という用途の場合が多いそうですが、水を入れておくものの場合もあるそうです。くりぬきのフネ状の木製容器を指すこともあるとか。一般的な桶を半分に切ったような形状のものがハンギリと呼ばれるとのことでした。

【さて、どうするか】
 いずれにせよ、「ハギリ(桶)」という説明ではあまり意味が通らないし、そもそも自分はよくわかってなかったことを実感させられました。暑いさなかに、とにかくでっかい桶に水はって、そこに大量にキュウリを冷やしているという“御馳走感”・・・。そこを大切にしたい。まあ、「大きいタライ」みたいに書き換えることにしようかなあとは考えてるところですが、これを機会にもうちょっと桶のことも注意してみようと思いました。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-23 23:14 | 昔のくらし | Comments(2)

「青森県の民俗」第2号

青森県の民俗」第2号(2002.6)
1500円
樹木と俗信―青森県の事例から― 佐々木 達司
青森県南部地方の鉤掛け 寺沢 一人
<講特集>
ムラのかたちと人のつながりと―講特集にあたって― 小池 淳一
産育と女性たちの子安講 長谷川 方子
葬式を支えた組織の変容 豊島 秀範
下北地方のオシラ講 斎藤 博之
城下町とムラの境界に生まれた講―弘前市「春日神社」 小山 隆秀
下北北通りの地蔵講 清野 耕司
下北郡川内町本町地区の神社行事 大湯 卓二
漁の組織と漁獲物の分配について 昆 政明
函館の講について(資料) 久保 孝夫
追悼:小井田幸哉先生


f0147037_19582488.jpg 「講特集」ということで、さまざまな「講」についての報告が勢ぞろい。宗教的な「講」が多いのですが、そのほかに「漁の組織と漁獲物の分配について」では題名の通りの内容が紹介されています。人間の集まりにはいろんなタイプがあるんだなあと思わされます。民俗芸能にたずさわってきた人々のつながり・集まりのありかたというのはどういうものだったのか・・・と、そんなことも、読みながら考えさせられます。
 どの文章を見ても思うことではありますが、特に「下北北通りの地蔵講」「下北地方のオシラ講」を読んで“じゃあ岩手県ではどうなんだろう”と興味がわきました。
 
 ※岩田書院から発売されています

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-22 20:00 | 資料紹介 | Comments(0)

「とりら」が出来るまで 〜番外編

昨日はげんぞうさんから、今日はYさんから、原稿が返ってきました。9割がた完成の原稿ですが、げんぞうさんのは面白くなった分、文量が増えてしまったため、雰囲気を保ちつつ再度少しダイエットしてくださるようお願いしました。そろそろウンザリしてくる段階かと思いますがよろしくお願いします。
次は写真を取り込んでレイアウトしてみて校正です。が、私はお金を稼ぐ方の仕事がとてもヤバくなってきたので今夜はとりら作業はちょっとお休み。

仕事って何よ、と言われると思うので昔に描いた絵をお見せしてみます。なんかヘンな絵だよね。もうずーっと本気で絵筆を持っていなくて、このまま絵は描かないかもと思っていたのに、挿絵を依頼してくださる奇特な方が現れて、絵描き業をぽつぽつ再開してるところです。今月末までに=10日であと21枚描かないと。。。困った。年内完成も苦しい。辛抱づよく待ってくださる自費出版の作者になんと言えば‥。なのに今夜はノらないのでこうやって逃避してるわけだ。ちなみにタイトルは「うつくしい風のスキマ」とこれもちょっとヘンなのです。

by.今夜はタダのMAf0147037_0181095.jpg

# by torira | 2007-10-21 00:31 | Comments(0)

住めそうだよなあ

 稲の乾燥にあたっての棒への掛け方には色々なものがあります。木の棒を1本の立ててそこに掛けていく「ホニョ」について奥州市水沢区黒石付近の田んぼの場合を紹介しましたが、今度は岩手県北に着目してみましょう。
 10月14日の青森県南部町苫米地付近の田んぼです。あ、岩手県じゃないや。
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f0147037_20405199.jpg ひときわ目を引くのが、「ゆとりの住まい型」(命名by俺)。三脚状に立てた棒に短めの棒でつくった桁をつけ、そこに稲を掛けていく・・・のだと思います。北西側の一方が開いています。このタイプは、4号線を走っていると岩手町御堂付近と二戸市金田一付近でも目にしました。
f0147037_20411016.jpg で、苫米地のその田んぼから数百m先の田んぼでは、ハセ掛け式のものもありました。ここでは3段ですが、山間部では、圃場ではなく屋敷のそばにもっと段数を多くしてつくるケースがよく見られます。

f0147037_2041471.jpg そして、さらに百mほど先に行くと「ゆとりの住まい型」と「ホニョ」っぽいものとが並んでいました。
 世間では「伊達藩ではホニョ、南部藩ではハセ」というような言い方をされることが多いようですが、実態はかなり入り組んでいます。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-19 20:44 | 意匠 | Comments(2)

「とりら」が出来るまで その2

興味を持って読んでくださる方がいるとのことで意を強くして続けてみます。
昨日の夜は盛岡市の民俗芸能講座へ行って、11月17日に行う私たちのイベントのチラシを配布させて頂きました。
講義では久しぶりに「早池峰の賦」の映像を見て、やはり面白いなぁと思いました。今はもうお見かけしなくなっている方も元気に太鼓を叩いている。
そしてやっぱり足袋は左からはいていました。意味のわからない方、「とりら」を読んでくださいね。

「とりら」の制作、原稿がまとまったら(宮古市さん、会長、お願いしますよ)、デザイナーさんにレイアウトして頂きます。
編集デザイナーの仕事はいわゆるるデザインだけではありません。
画像データのファイル形式を書き換える作業から始まって(jpgのままでは印刷データにならない)、行間や文字の送りを調節するとか、書体の不ぞろいがないか、2けたの数字が全角になっていないか、などなど細かい部分もチェックし、そんなふうに整えた細かいパーツを組み立てていく仕事です。
デザイナーという職業柄、見た目の良さを重要視するので、「こんな写真は使えない」など強気の態度に出て来られてもめることもしばしばです。(だからといって本人がおしゃれかというとそうでもない)

しかしデザイン負けする場合もあります。f0147037_20303956.jpg
今回の「もっと近寄れる民俗芸能講座」のチラシ、かんじんな本体の日時やタイトルより、右下に小さく入れた関連イベントの情報の方が目立ってしまったのです。
チラシを配ってみると皆さんの目が真ん中の文字じゃなくそっちを見てる。これはまずい。
デザインの試作を見せられたとき、今ひとつピンと来ないなあと思ったものの、他の事も忙しいし、争うのがめんどうなのでそのままOKを出したのが敗因。
私は戦争には反対ですが、「とりら」を作る上ではいかんせん、舌戦、心理戦などの戦いにはひるまず挑まなければなりません。 がんらい低い血圧も次第に上がって参ります。       (続く)                           

 by.事務局MA

# by torira | 2007-10-19 20:39 | 冊子「とりら」 | Comments(0)

いよいよ山祇神楽が「山の神」を

 「とりら」第2号の私の文章で紹介する予定の雫石町南畑大村地区の「厄病まつり」。内容の確認と掲載許可をとりに、「厄病まつり」で太鼓をはたいていた方に会いにいきました。この方は山祇神楽のメンバーでもあるので、神楽の練習日のそれらしい時間に伝承館(雫石町伝統文化保存伝承交流センター)に電話をし、居ることを確認したうえで訪問・・・ということになりました。
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 まあ、結果として神楽の練習の場に訪問ということになるわけです。
 21時すぎに伝承館に入ると、胴どり(太鼓打ち)と舞手の二人だけで練習していました。舞手の手にはヒヤゲ(漆塗りの片口)が。「山の神」の練習です。山祇神楽は団体名からしても、若手のメンバーの充実っぷりからしても、「山の神」が見どころの神楽。・・・と言いたいところなのですが、かなり長いあいだ「山の神」は上演されていませんでした。
 それがようやく、11月23日開催の雫石町無形文化財芸能祭でお披露目されるとのこと。やることをきっちりやる骨太な「山の神」、練習風景を見た限りでもかなりのものでした。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-18 21:33 | 芸能 | Comments(1)

「とりら」が出来るまで その1

「とりら」がどうやって出来ていくのか。自分の作業を整理しながら順を追って紹介してみます。
まず原稿を頂くとざっと読みます。
そこで気に留めるのは、最後まで立ち止まらずに読めたか?という点です。
難しい文でも易しく書いてある文でも、すらっと読めてしまうものと、なんとなく途中でやめたくなる場合とがあります。途中でやめたくなる場合は問題ありと見て、気になるところの書き直しをお願いします。心がけているのは、内容のレベルは高く、文は読みやすく、データはきちんと付ける。言うはやすく行うは難しい!

取材対象がある場合は、その人なり団体さんなりに原稿を見て頂いてチェックを受けることも大事です。意外にそこで発見があったり。
じつはこの次の私の分、先日見て頂いたら今まで聞いた事のない話が突然出て来て困ってるところです。
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写真を選んで原稿を書く方と打ち合わせをします。現在は、写真の大半が私のストックから出ていますので、文字通り山となっている自分の写真から話に合うものを選び出すのに手間取ります。うちのスキャナーも遅いし。。
次号に登場予定の黒森神楽後援会事務局の方が撮った写真は良いのがいっぱいあっていかった〜。
それらはまだ取り込んでいないので、添えた画像は花巻市の幸田神楽さんの「みどりご」でした。
・・・この続きは次回に。

 by.事務局MA

# by torira | 2007-10-18 01:11 | 冊子「とりら」 | Comments(1)

大同年間からやっている芸能もあるとは言いますが。

f0147037_22565619.jpg 「なんか芸能の資料はないかなあ」と思って地域の資料館に行くことがたまにありますが、大半はそれ以外のモノです。その際に特に思うのは「もうちょっとこの土器の断片を見ていろんなことがわかる能力を身に着けていれば、もっと楽しいだろうなあ」ということ。
 それから、ちかごろ「民俗芸能というのはどういう人がやっていて、それを取り巻くのはどういう世の中だったのかなあ」ということを考えます。
 そんなわけで、読んでみました。

「古代蝦夷と律令国家(奥羽史研究叢書 7)」
蝦夷研究会 編 高志書院 2004年10月 刊
第1部 蝦夷社会の諸問題
 蝦夷考古学の地平 …盛岡市教育委員会/八木光則
 延暦八年の征夷 …岩手大学人文社会科学部/樋口知志
 九世紀の奥郡騒乱 …佛教大学通院教育部大学院修士課程/窪田大介
 鎮守府領と奥六郡の再検討 …水沢市埋蔵文化財調査センター/伊藤博幸
 奥六郡の関と津 …中尊寺仏教文化研究所/菅野成寛

第2部 城柵と蝦夷社会
 胆沢城と蝦夷社会 …水沢市教育委員会/高橋千晶
 志波城と蝦夷社会 …盛岡市教育委員会/津嶋知弘
 徳丹城と蝦夷社会 …矢巾町教育委員会/西野修
 稗貫郡の古代集落と律令支配 …大迫町教育委員会/菊池賢


 たぶん理解できていない箇所が大量にあるとは思うんですが、「鎮守府領と奥六郡の再検討」は、奥六郡の成立についての解説として興味深く読みました。そうすると「その次はどうなるの?」と、律令国家に組み入れられた後のことにも関心が湧きます。北東北の民俗芸能と関係が深いのはそちらの時代かも?ともあれ、この本で扱っている時代のこともその次の時代のことも、これからもっと見聞きしていきたいなあと感じました。
 まあなんと言っても、志波城・徳丹城に行ってみたくなりましたね。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-17 00:03 | 資料紹介 | Comments(0)

ようやく「タタキ」の段階に

 とりら第2号、私の書く原稿のテーマは「七夕・虫送り・厄病まつり」です。事務局MAさんとは明日あらためてその内容について打ち合わせするのですが、今日ちょっと電話でも意見を伺いました。
 私の書いた第1稿では、「七夕」についての書き出しは、
「七夕(たなばた)というと現在ではササに短冊を吊るす行事が全国的に知られている。ところが、盛岡周辺では凸型のアンドンを持って歩き、時には踊りを伴う『七夕』が行われている」
・・・というもの。事務局MAさんの意見は、
「七夕の内容は『ササに短冊』だけじゃなく、かなり多様。『凸型のアンドン』は他の地方にもあって、そこを『盛岡周辺の』とことさらに盛岡周辺特有のものっぽく言うのは正確さに欠くのでは。むしろ、踊りを伴うケースがあるところに特徴があるのでは」
というものでした。さらにそれを踏まえて、事例紹介の箇所でも「踊りを伴う門付けの様子(↓画像参照)」をもう少し書き込んだほうがいいとの指摘をうけました。
f0147037_21405264.jpg

 「『凸型のアンドン』は他の地方にもある」という点については事務局MAさんにblogで紹介いただきたいと思いますが、こうやって指摘を受けると“なるほど”と改めて自分の考えを整理させられます。
 明日、もっとつっこんで内容の打ち合わせをしますが、冊子「とりら」はこうやって原稿をひとつひとつ精査したうえで掲載します。原稿の垂れ流しはしません。
 ・・・というと何だか偉そうだし、書き物を出す上では当たり前のことではあるのですが。

 by げんぞう

# by torira | 2007-10-15 21:42 | 冊子「とりら」 | Comments(0)