大舞台の記憶
2017年 06月 28日
1935年に盛岡市内の「上の橋」が架け替えされた際には、白石神楽の権現様が渡り初めをしたといいます。
「その渡り初めのあとには内丸座で公演をした」。
白石神楽のことを詳しく語ってくれた中坪賢蔵さんは、何べんも語ってくれました。
私はそのたびに
「へえ、内丸座で!すごいですねえ」
と話を合わせていたのですが、実はよく知らない内丸座。
自分より少し上の世代の方々には、大手先(内丸の東のほう)にあった映画館という印象が強いらしい。
でも、もっと古い世代の方々には、舞台演劇などを演じる劇場として知られていたようです。

オモテ側には「志和稲荷神社」と大書されていますが、裏には石柱の奉納者として内丸座の名が彫られています。
それだけの財力があったということがしのばれます。
地方都市でショウビジネスが力を持っていた時代。
その舞台に神楽が立つというのはたいそうな名誉だったことでしょう。
by げんぞう
▲ by torira | 2017-06-28 20:48 | 昔のくらし | Comments(0)