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村芝居vs戦争凱旋パレード

「ふるさと岩手の芸能はどんな人たちがやってきたの?」
という疑問に、スジが通った答えが返ってくることは、あまり多くありません。
その直接の答えが載っているわけではないのですが、

「南部二戸郡石神村に於ける大家族制度と名子制度」
有賀喜左衛門 著 1939 アチック・ミューゼアム
(有賀喜左衛門著作集〈3〉1977 未来社 に所収)


「村落構造の史的分析 : 岩手県煙山村」
中村吉治 著 1956 日本評論新社


は、むかしの地域がどういう人々で成り立っていたのかを、とてもよく示しています…ということで、以前にも紹介したかと思います。
そこで、今回ご紹介したいのはこちら!

「村落生活と習俗・慣習の社会構造」
上村正名 著 1979 お茶の水書房


岩手県をあつかったものではありません。
芸能のこともそんなに多く載っているわけではありません。
が、先の2冊よりも、年中行事・儀礼と地域との関わりに深く立ち入っています。
山梨県山中湖村の3集落について主に藩政後期から昭和40年代までの年中行事や規範,産業,生活を詳しく記しているのが特徴。
年中行事がどういう背景でどう変化していくか…が鮮やかに描かれています。
村芝居vs戦争凱旋パレード_f0147037_21533549.jpg

で、このうちp.521 第十八章 「婚姻」の章に、脚注としてこんな一文が。

(1)平野部落では徳川時代から芝居が盛んであった。天保一一年生まれ昭和二年歿の祖父の膝の上で、子供の頃から芝居のせりふを教わったという古老がいる。当時は、字が読めなかったので口伝で教え、一人で何役もこなすことができないため、村中の若者が何らかの役をやり、太夫はどこからかよんで来た。芝居をやる時期は、農閑期や村祭りの時で、石割神社の祭礼には三間日(ママ)やった。その他に、伊豆の三島・修善寺・大仁に買われて行くこともあった。衣装も、忠臣蔵は一揃い、その他に、先代萩の政岡など主なものは部落に揃っていた。人気のあったこの地芝居も、明治三九年、山中部落の諏訪神社の祭りの際に、在郷軍人による日露戦争凱旋パレードが楽隊入りで行われ、人々はそれに目を奪われて、芝居小屋には客がなかった。それ以来、この地芝居はすたれしまった、と言われている。


うーん、凱旋パレードおそるべし。

 by げんぞう

by torira | 2014-03-31 21:53 | 昔のくらし | Comments(0)

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