人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブリとミカンと南部衆

ブリとミカンと南部衆_f0147037_21574537.jpg
虎舞は岩手県以外にもいくつかの海辺に伝承があります。
わりと近いところでは、神奈川県横須賀市浦賀や静岡県下田にも。
このブログで米神の絵馬に固執するのも、米神を真ん中にして相模湾の東に浦賀、西に下田が位置することから、藩政期から昭和期まで連綿とつづく、漁業や虎舞を介した結びつきを知りたいからです。

米神の地名が入った山田八幡宮の絵馬。
ブリとミカンと南部衆_f0147037_2213313.jpg

山田町大沢のFさんが絵馬の奉納者名を手がかりに、足で歩いて調べてくださいました。以下、そのレポートです。

「私の父は昭和6年生まれ。だから絵馬が奉納された昭和16年といえば祖父の時代である。
祖父は私が小さい頃亡くなった。曲がった事が嫌いでズバズバものをいう人だったそう。祖父は、小さい頃から苦労しながら働き、やがて出稼ぎの定置網の大謀になった。

祖父は、出稼ぎには山田の辺の人を大勢連れて行ったそうだ。父親は祖父から聞いて記憶にある地名として富山、静岡、青森、北海道をあげた。とにかく全国まわったようだと父親はいう。

特に静岡にはしばらく居たという。その辺りの事は詳しく知っていたそうだ。もちろん相模湾の方も知っていただろうと。しかし残念ながら父は祖父の口から「米神」という地名は聞いた事は無いようだ。
ブリとミカンと南部衆_f0147037_2149104.jpg
(米神に残る昔のブリ漁の写真)

次の週、大正生まれのウチの一族の年寄りに話しを聞きに行った。
奉納者の名前を見てもらうと、絵馬奉納者の筆頭となっているH姓の人達は山田の旧家のH一族との事。他の人達も大沢ではなく山田の人達とのこと。
最後に名前がある方は同級生だが震災の少し前に亡くなったそう。他にも二人知っていたが皆亡くなっているようだ。
年寄りの話しによると、私の祖父は駿河湾と相模湾を中心に働いていたそうだ。

つてを頼り、奉納者の一人の息子さんに間接的に連絡を取ってもらった。
「八幡様の絵馬の事」で通じたので奉納した事は知っているようだが、内容は分からないという返事。なかなか米神まではたどり着きそうにない。

次の週、年寄から聞いた山田のH姓の旧家を訪ねてみた。屋号はNという家。お婆さんに絵馬の事をうかがったが分からないという。最近お爺さんが亡くなったそうだ。お爺さんなら知っていたかもしれないと。

がっかりしてふらっと八幡様へ。七五三のお祓いに来る親子連れが何組もいた。
絵馬を眺めていると、宮司さんが「この間も来てましたね」と声をかけてくれた。
絵馬の事を聞いてみたが先代からは聞いていないので分からないという。
ただ、八幡様に奉納するのは旧飯岡村の人。それぞれの地区に氏神様があり、大沢の人なら魚賀浜間神社、旧山田の人なら大杉神社に奉納するはずと言っていた。

昭和16年といえばもう70年前。結局何にも分からず、笑ってごまかすしかないわけで…。祖父に関するエピソードで許してください。

『祖父は(出稼ぎの大謀として)大勢の人を連れて行ったのでいろいろあったようです。
静岡に出稼ぎに行っていた時の事、付近でミカン泥棒があり、これは南部の奴らの仕業だといって責任者である祖父が責められたとか。ミカンのもぎ方が素人のやり方だったそうです(笑)。』

Fさん、文字通りご足労をおかけしました。
ご協力ありがとうございました!

 by.事務局MA
ブリとミカンと南部衆_f0147037_21534186.jpg
(米神のみかん)

by torira | 2012-11-19 22:09 | 昔のくらし | Comments(5)

Commented by ぶり森のらこ at 2012-11-21 02:24
トリラ様、山田町の方に絵馬の件をお知らせいただきありがとうございました。Fさんのレポートをじっくり拝読いたしました。
幾つか教えて欲しいことがあります。
FさんとFさんのお祖父様は漁師さんですか?
舟や網を持っておられましたか?
山田でブリ漁にかかわっておられますか?
出稼ぎに行かれた沢山の方や、絵馬に記された旧家の方は漁師さんですか?
昭和16年当時は山田の方にとってどのような年だったのでしょう?
吉里吉里善兵衛さん(前川善兵衛一族)とは何か関わりがありますか?
質問ばかりですみません。分かる範囲で結構です。
絵馬の件で70年も昔の事をお調べくださったFさんに、感謝感激です。ありがとうございました!
Commented by 事務局MA at 2012-11-21 22:25
ぶり森のらこ様
丁寧に読んで頂きありがとうございました!
Fさんにはお答えをお願いしましたので少々お待ちください。

吉里吉里善兵衛さんはこちらでは有名人、というかヒーローです!
山田町・大槌町の虎舞の演舞の一部は、吉里吉里善兵衛さんが浄瑠璃「国姓爺合戦」を見て導入したらしいということになっています。
三陸の俵物と呼ばれた海産物を手広く扱っていた彼は、どこでそれを見たのでしょう?大坂か小田原か?はたまた長崎か??

虎舞のルーツを考える上でも気になるところです。
Commented by いつ浜 at 2012-11-22 10:50
震災後、大槌稲荷神社社務所で
お会いした方が吉里吉里善兵衛の子孫とのこと。
お話してたら私の大学時代の同級生の身内でしたw
わかめの養殖を生業としてたそうですが
震災後はガードマンとして交通整理とかもなさってるとか。
本来ならばもっと近い子孫がいたそうですが
震災で亡くなったとのこと。
一関在住で子孫の方もいるにはいるらしいのですが…
Commented by 事務局MA at 2012-11-22 22:25
いつ浜さん、津波は人命も歴史も持ち去ってしまうんだなと実感しました。いつかぶり森のらこ様が山田にいらしたら紹介して差し上げてください。
Commented by ぶり森のらこ at 2012-11-23 11:38
いつ浜様 初めまして!
善兵衛さんご子孫の情報ありがとうございます。
善兵衛家は大正頃は漁業を営んでおられたと資料にありましたので、今度の津波で被害があったのではないかと、とても心配していました。
直系の?方が震災で亡くなられた事、わかめの養殖をされていた御子孫も、被害が大きく大変な状態なのですね。
報道で大槌町の庁舎や周辺の様子を見るにつけ、町役場や、漁協、漁業関係の皆様はさぞご苦労をされている事だろうとと思います。
善兵衛家のご先祖は小田原北条の水軍だった様で、ブリ漁の出稼ぎの方と直接つながるかどうかわかりませんが、興味深く拝見しております。
また情報がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

<< 近くて遠い 干し柿づくり >>