カテゴリ:昔のくらし( 53 )

「昔はどんな道具だったの?」展

宮古市川井の北上山地民俗資料館で、企画展「昔はどんな道具だったの?」が開かれています。
教科書に出てくる「昔の道具」が具体的にはどんなものか、「昔」っていつのことなのか、理解の手助けになればいいなという意図で企画されたものです。
夏休みの自由研究にもってこいではないでしょうか?

9日(水)には、民具を実測して図にするお仕事を続けられてきた、名久井先生のお話もあるようです。
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106号線にあるこの資料館は開館時間が午後6時までとゆったりめなので、海の帰りに立ち寄るのもよさそうです。

 by.事務局MA
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by torira | 2017-08-07 15:51 | 昔のくらし | Comments(0)

大舞台の記憶

とりら創刊号(2007年6月10日発行)「盛岡の神楽 その1 『白石神楽』」 では、盛岡市上米内にあった白石神楽について紹介しました。
1935年に盛岡市内の「上の橋」が架け替えされた際には、白石神楽の権現様が渡り初めをしたといいます。
「その渡り初めのあとには内丸座で公演をした」。
白石神楽のことを詳しく語ってくれた中坪賢蔵さんは、何べんも語ってくれました。

私はそのたびに
「へえ、内丸座で!すごいですねえ」
と話を合わせていたのですが、実はよく知らない内丸座。

自分より少し上の世代の方々には、大手先(内丸の東のほう)にあった映画館という印象が強いらしい。
でも、もっと古い世代の方々には、舞台演劇などを演じる劇場として知られていたようです。
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志和稲荷(紫波町升沢)の近くにある石柱。
オモテ側には「志和稲荷神社」と大書されていますが、裏には石柱の奉納者として内丸座の名が彫られています。
それだけの財力があったということがしのばれます。
地方都市でショウビジネスが力を持っていた時代。
その舞台に神楽が立つというのはたいそうな名誉だったことでしょう。

by げんぞう

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by torira | 2017-06-28 20:48 | 昔のくらし | Comments(0)

蘇民祭

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盛岡駅にて年末に写メ。
「いわての蘇民祭」というように、県下全域の蘇民祭行事をまとめて押し出すようになってきたんですね。
by げんぞう
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by torira | 2017-01-13 19:02 | 昔のくらし | Comments(0)

盛岡市大館町

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by げんぞう
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by torira | 2016-07-03 22:20 | 昔のくらし | Comments(0)

声はキンキン。

築49年の中古住宅へお引っ越し。
柱のキズもタンスも、前の持ち主そのままです。
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by げんぞう
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by torira | 2015-11-13 07:40 | 昔のくらし | Comments(0)

近代的設備と民俗語彙

盛岡駅西口に「アイーナ いわて県民情報交流センター」という建物があります。
ガラスばりの、でっかい建物です。
この中にある「調理実習室」を、しごとで初めて使いました。

コンロはIH。
調理器具も立派です。
公共施設の調理実習室って、
「包丁が切れない」
「ナベのフタがあわない」
というのが普通かなあと思っているだけに、いちいちびっくりです。


そんな中に
「半ぎり桶」
ってあると、これまたびっくりします。
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 by げんぞう
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by torira | 2014-11-25 22:07 | 昔のくらし | Comments(0)

村芝居vs戦争凱旋パレード

「ふるさと岩手の芸能はどんな人たちがやってきたの?」
という疑問に、スジが通った答えが返ってくることは、あまり多くありません。
その直接の答えが載っているわけではないのですが、

「南部二戸郡石神村に於ける大家族制度と名子制度」
有賀喜左衛門 著 1939 アチック・ミューゼアム
(有賀喜左衛門著作集〈3〉1977 未来社 に所収)


「村落構造の史的分析 : 岩手県煙山村」
中村吉治 著 1956 日本評論新社


は、むかしの地域がどういう人々で成り立っていたのかを、とてもよく示しています…ということで、以前にも紹介したかと思います。
そこで、今回ご紹介したいのはこちら!

「村落生活と習俗・慣習の社会構造」
上村正名 著 1979 お茶の水書房


岩手県をあつかったものではありません。
芸能のこともそんなに多く載っているわけではありません。
が、先の2冊よりも、年中行事・儀礼と地域との関わりに深く立ち入っています。
山梨県山中湖村の3集落について主に藩政後期から昭和40年代までの年中行事や規範,産業,生活を詳しく記しているのが特徴。
年中行事がどういう背景でどう変化していくか…が鮮やかに描かれています。
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で、このうちp.521 第十八章 「婚姻」の章に、脚注としてこんな一文が。

(1)平野部落では徳川時代から芝居が盛んであった。天保一一年生まれ昭和二年歿の祖父の膝の上で、子供の頃から芝居のせりふを教わったという古老がいる。当時は、字が読めなかったので口伝で教え、一人で何役もこなすことができないため、村中の若者が何らかの役をやり、太夫はどこからかよんで来た。芝居をやる時期は、農閑期や村祭りの時で、石割神社の祭礼には三間日(ママ)やった。その他に、伊豆の三島・修善寺・大仁に買われて行くこともあった。衣装も、忠臣蔵は一揃い、その他に、先代萩の政岡など主なものは部落に揃っていた。人気のあったこの地芝居も、明治三九年、山中部落の諏訪神社の祭りの際に、在郷軍人による日露戦争凱旋パレードが楽隊入りで行われ、人々はそれに目を奪われて、芝居小屋には客がなかった。それ以来、この地芝居はすたれしまった、と言われている。


うーん、凱旋パレードおそるべし。

 by げんぞう
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by torira | 2014-03-31 21:53 | 昔のくらし | Comments(0)

お正月に楽しかったこと

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子供はこういうのが印象に残るらしく。

by げんぞう
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by torira | 2014-01-28 19:22 | 昔のくらし | Comments(0)

金にならない仕事

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by げんぞう
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by torira | 2014-01-12 19:40 | 昔のくらし | Comments(0)

もも

大迫の虫まつりでは、わら人形の頭に桃の枝をさしていた。
という話が、本田安次「民俗芸能採訪録」掲載の「岩手の旅」(初出:旅と伝説 四ノ一〇,本田安次著作集 日本の伝統芸能 第十四巻 1997年 錦正社 に収録)に載っています。
昭和6年の話ですから、ずいぶん昔のことになりますが。

桃の枝は何かと使われることがあります。
陸中沿岸の神楽では「清祓」に、桃の枝にシデをつけたものを手にとって舞います。
巡行の時期には葉のない枝ですが、夏祭りの奉納では青々としていて、そのつど季節を感じます。
いっぽう、八戸の法霊神楽でも「山の神」で手にする幣束の串に桃の木を用いるという話をきいたことがあります。
枝はついていないので、遠目には何の木かはわからないのですが。
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 by げんぞう
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by torira | 2013-09-30 21:18 | 昔のくらし | Comments(3)