カテゴリ:昔のくらし( 51 )

蘇民祭

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盛岡駅にて年末に写メ。
「いわての蘇民祭」というように、県下全域の蘇民祭行事をまとめて押し出すようになってきたんですね。
by げんぞう
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by torira | 2017-01-13 19:02 | 昔のくらし | Comments(0)

盛岡市大館町

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by げんぞう
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by torira | 2016-07-03 22:20 | 昔のくらし | Comments(0)

声はキンキン。

築49年の中古住宅へお引っ越し。
柱のキズもタンスも、前の持ち主そのままです。
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by げんぞう
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by torira | 2015-11-13 07:40 | 昔のくらし | Comments(0)

近代的設備と民俗語彙

盛岡駅西口に「アイーナ いわて県民情報交流センター」という建物があります。
ガラスばりの、でっかい建物です。
この中にある「調理実習室」を、しごとで初めて使いました。

コンロはIH。
調理器具も立派です。
公共施設の調理実習室って、
「包丁が切れない」
「ナベのフタがあわない」
というのが普通かなあと思っているだけに、いちいちびっくりです。


そんな中に
「半ぎり桶」
ってあると、これまたびっくりします。
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 by げんぞう
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by torira | 2014-11-25 22:07 | 昔のくらし | Comments(0)

村芝居vs戦争凱旋パレード

「ふるさと岩手の芸能はどんな人たちがやってきたの?」
という疑問に、スジが通った答えが返ってくることは、あまり多くありません。
その直接の答えが載っているわけではないのですが、

「南部二戸郡石神村に於ける大家族制度と名子制度」
有賀喜左衛門 著 1939 アチック・ミューゼアム
(有賀喜左衛門著作集〈3〉1977 未来社 に所収)


「村落構造の史的分析 : 岩手県煙山村」
中村吉治 著 1956 日本評論新社


は、むかしの地域がどういう人々で成り立っていたのかを、とてもよく示しています…ということで、以前にも紹介したかと思います。
そこで、今回ご紹介したいのはこちら!

「村落生活と習俗・慣習の社会構造」
上村正名 著 1979 お茶の水書房


岩手県をあつかったものではありません。
芸能のこともそんなに多く載っているわけではありません。
が、先の2冊よりも、年中行事・儀礼と地域との関わりに深く立ち入っています。
山梨県山中湖村の3集落について主に藩政後期から昭和40年代までの年中行事や規範,産業,生活を詳しく記しているのが特徴。
年中行事がどういう背景でどう変化していくか…が鮮やかに描かれています。
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で、このうちp.521 第十八章 「婚姻」の章に、脚注としてこんな一文が。

(1)平野部落では徳川時代から芝居が盛んであった。天保一一年生まれ昭和二年歿の祖父の膝の上で、子供の頃から芝居のせりふを教わったという古老がいる。当時は、字が読めなかったので口伝で教え、一人で何役もこなすことができないため、村中の若者が何らかの役をやり、太夫はどこからかよんで来た。芝居をやる時期は、農閑期や村祭りの時で、石割神社の祭礼には三間日(ママ)やった。その他に、伊豆の三島・修善寺・大仁に買われて行くこともあった。衣装も、忠臣蔵は一揃い、その他に、先代萩の政岡など主なものは部落に揃っていた。人気のあったこの地芝居も、明治三九年、山中部落の諏訪神社の祭りの際に、在郷軍人による日露戦争凱旋パレードが楽隊入りで行われ、人々はそれに目を奪われて、芝居小屋には客がなかった。それ以来、この地芝居はすたれしまった、と言われている。


うーん、凱旋パレードおそるべし。

 by げんぞう
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by torira | 2014-03-31 21:53 | 昔のくらし | Comments(0)

お正月に楽しかったこと

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子供はこういうのが印象に残るらしく。

by げんぞう
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by torira | 2014-01-28 19:22 | 昔のくらし | Comments(0)

金にならない仕事

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by げんぞう
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by torira | 2014-01-12 19:40 | 昔のくらし | Comments(0)

もも

大迫の虫まつりでは、わら人形の頭に桃の枝をさしていた。
という話が、本田安次「民俗芸能採訪録」掲載の「岩手の旅」(初出:旅と伝説 四ノ一〇,本田安次著作集 日本の伝統芸能 第十四巻 1997年 錦正社 に収録)に載っています。
昭和6年の話ですから、ずいぶん昔のことになりますが。

桃の枝は何かと使われることがあります。
陸中沿岸の神楽では「清祓」に、桃の枝にシデをつけたものを手にとって舞います。
巡行の時期には葉のない枝ですが、夏祭りの奉納では青々としていて、そのつど季節を感じます。
いっぽう、八戸の法霊神楽でも「山の神」で手にする幣束の串に桃の木を用いるという話をきいたことがあります。
枝はついていないので、遠目には何の木かはわからないのですが。
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 by げんぞう
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by torira | 2013-09-30 21:18 | 昔のくらし | Comments(3)

みんな踊っても

長女とおかあちゃんが裏の公園へさんさ踊りに出かけてしまったので、次女とおとうちゃんは留守番。
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 by げんぞう
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by torira | 2013-07-23 20:27 | 昔のくらし | Comments(0)

ブリとミカンと南部衆

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虎舞は岩手県以外にもいくつかの海辺に伝承があります。
わりと近いところでは、神奈川県横須賀市浦賀や静岡県下田にも。
このブログで米神の絵馬に固執するのも、米神を真ん中にして相模湾の東に浦賀、西に下田が位置することから、藩政期から昭和期まで連綿とつづく、漁業や虎舞を介した結びつきを知りたいからです。

米神の地名が入った山田八幡宮の絵馬。
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山田町大沢のFさんが絵馬の奉納者名を手がかりに、足で歩いて調べてくださいました。以下、そのレポートです。

「私の父は昭和6年生まれ。だから絵馬が奉納された昭和16年といえば祖父の時代である。
祖父は私が小さい頃亡くなった。曲がった事が嫌いでズバズバものをいう人だったそう。祖父は、小さい頃から苦労しながら働き、やがて出稼ぎの定置網の大謀になった。

祖父は、出稼ぎには山田の辺の人を大勢連れて行ったそうだ。父親は祖父から聞いて記憶にある地名として富山、静岡、青森、北海道をあげた。とにかく全国まわったようだと父親はいう。

特に静岡にはしばらく居たという。その辺りの事は詳しく知っていたそうだ。もちろん相模湾の方も知っていただろうと。しかし残念ながら父は祖父の口から「米神」という地名は聞いた事は無いようだ。
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(米神に残る昔のブリ漁の写真)

次の週、大正生まれのウチの一族の年寄りに話しを聞きに行った。
奉納者の名前を見てもらうと、絵馬奉納者の筆頭となっているH姓の人達は山田の旧家のH一族との事。他の人達も大沢ではなく山田の人達とのこと。
最後に名前がある方は同級生だが震災の少し前に亡くなったそう。他にも二人知っていたが皆亡くなっているようだ。
年寄りの話しによると、私の祖父は駿河湾と相模湾を中心に働いていたそうだ。

つてを頼り、奉納者の一人の息子さんに間接的に連絡を取ってもらった。
「八幡様の絵馬の事」で通じたので奉納した事は知っているようだが、内容は分からないという返事。なかなか米神まではたどり着きそうにない。

次の週、年寄から聞いた山田のH姓の旧家を訪ねてみた。屋号はNという家。お婆さんに絵馬の事をうかがったが分からないという。最近お爺さんが亡くなったそうだ。お爺さんなら知っていたかもしれないと。

がっかりしてふらっと八幡様へ。七五三のお祓いに来る親子連れが何組もいた。
絵馬を眺めていると、宮司さんが「この間も来てましたね」と声をかけてくれた。
絵馬の事を聞いてみたが先代からは聞いていないので分からないという。
ただ、八幡様に奉納するのは旧飯岡村の人。それぞれの地区に氏神様があり、大沢の人なら魚賀浜間神社、旧山田の人なら大杉神社に奉納するはずと言っていた。

昭和16年といえばもう70年前。結局何にも分からず、笑ってごまかすしかないわけで…。祖父に関するエピソードで許してください。

『祖父は(出稼ぎの大謀として)大勢の人を連れて行ったのでいろいろあったようです。
静岡に出稼ぎに行っていた時の事、付近でミカン泥棒があり、これは南部の奴らの仕業だといって責任者である祖父が責められたとか。ミカンのもぎ方が素人のやり方だったそうです(笑)。』

Fさん、文字通りご足労をおかけしました。
ご協力ありがとうございました!

 by.事務局MA
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(米神のみかん)
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by torira | 2012-11-19 22:09 | 昔のくらし | Comments(5)