カテゴリ:芸能( 313 )

神楽が来る浜

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春3月。沿岸を行く黒森神楽と鵜鳥神楽の巡行もまもなく終わる頃になりました。
どちらの神楽にしても、震災の痛手は、神楽を迎える側である浜の神楽宿に大きく及びました。
手持ちの画像から沿岸各地の光景を北から拾ってみます。
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震災後まもなく撮影した普代村の普代漁港です。
防潮堤が機能して村の被害は小さかったというもののここにあったはずの建物がそっくり消えていました。
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それから約3年。
先日訪れた普代村で早採りワカメがお店に出ていました。あれはおいしい。

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鵜鳥神楽の深渡さんです。震災前の2009年、田野畑村島ノ越漁村センターへ神楽が舞い込んだときの。この建物も津波で失われました。

鵜鳥神楽は昨年、岩泉町の安家地区へも行きました。
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黒森神楽は今日あたり神上げだったでしょうか。
2011年のお正月、宮古市山口で行われた黒森神楽の舞初めです。まさかその2ヶ月後に浜が一変するとは夢にも思わず。。
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山田町船越半島には古くからの神楽宿があり、以前は黒森・鵜鳥どちらの神楽も訪れていました。
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船越の「小谷鳥口」バス停あたり。昨年秋の霞露ヶ岳神社のお祭りです。

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昨年2月に大槌町赤浜の旧赤浜小学校を訪れた鵜鳥神楽。

昨年1月、釜石市箱崎白浜で行われた奈奈子祭では深渡さんが榊葉を舞いました。
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神楽の中心的存在であり、普代村教育委員会次長でもあった深渡理隆さんが、先月2月14日突然のご病気で亡くなられました。
あまりにも急なことで、今もって信じられない気持ちです。
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神楽宿の被災に心を痛め、震災後はじめてとなる今年の南回り巡行をなんとしても成功させたいと張り切っておられたというのに。
震災後はお仕事も神楽もいっそう多忙になったので、そのご負担は大きかったと思います。
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村にとって、神楽にとってかけがえのない存在であり、むろんご家族にとってはいうまでもありません。皆様のお気持ちを想像するとつくづく残念でなりません。
心からご冥福をお祈りします。

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鵜鳥神楽の南回り巡業は、昔から最後は釜石市室浜と決まっていたそうです。2006年にその室浜へおじゃましたときの門打ちの1コマ。
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宿であるお宅の庭先から見えた春の海がきれいでした。今はどうなっているのでしょうか。

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震災のお見舞いにおじゃましたとき、普代村の職員として深渡さんからいただいた「普代村こんぶ饂飩」。普代の昆布が練り込まれたうす緑色のうどんはつるっとしてコシがあり、とてもおいしい&オススメです。
あさってで震災から3年です。

 by.事務局MA
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by torira | 2014-03-09 20:38 | 芸能 | Comments(0)

話をもる

~「帝童」に相当する山伏神楽の演目~
・「帝童(ていどう)」は、大乗神楽の演目のひとつ
・「帝童」は、通常のバージョンでは、特にストーリー性は見られない女舞
・「帝童」という演目は大乗神楽以外にはない
・「帝童」には、「おっかけ」と言われる道化が出るバージョンがある
・山伏神楽では、「年寿」もしくは「若子舞」という名称の演目で、「おっかけ」を含む場合がる
・一部の山伏神楽の「若子舞」では、「テイドウには・・・」という唄を連呼するものがある(中謡と別の場面で)
・「帝童」と「年寿」「若子舞」は、もとは同じものだと思われる
・ただし、「帝童」には、「年寿」「若子舞」ほど長い中謡はない

~「帝童」という語~
・山伏神楽の女舞,岩戸開の中謡,神おろしの謡などに、「テイドウ」の語が見られる
   (先述の、「若子舞」の「テイドウには・・・」という唄と別に)
・大乗神楽の唄・中謡には「テイドウ」の語はみられない
・一部の神楽では「テイドウさつさつの鈴の声」というフレーズになっているため、
  「『テイドウ』は鈴と関係ある語ではないか」と考えがち。だが・・・
・「テイドウさつさつの鈴の声」は、語句が脱落した一部の団体の場合のフレーズ
・より詳しいのは、例えば下記(盛岡市の大宮神楽の天女)
「拾二人の神楽男 八人八乙女 ていとふ六緒の調べのこえ さつさつの鈴のよそほへ繰合 しづしづと御はやし」
・これらのフレーズは“祈祷のための歌舞音曲をおこなおう”というような場面で用いられている
・歌舞音曲の種類と擬音を列記しているフレーズなので、「ていとふ」もその一種の何らかをあらわしていると考えられる
・和琴をあらわす「六緒」の前にあるので、和琴の擬音かもしれない
・雅楽で用いる打楽器の奏法に「帝(テン)」「図(ズン)」「百(ドウ)」などがあることから、これら打楽器の擬音かもしれない
・狂言「福部の神」に出てくる空也僧鉢たたきの歌に
「瓢箪ふくべに緒をつけて、をりをり風の吹く時はヒョラヒョン、潮瀬の風の寒き山野に、ていとう打鳴らし、三界を家と走りめぐる鉢叩きめが・・・」(※「でいどうと打ち鳴らい」とするものもある)
という一節があることから、ふくべ(ヒョウタン)を打つ擬音としても使われていたと考えられる

~女舞と音楽~
・女舞は見た目は美しいのだけれども、どうも意味がよくわからない
・しかしこまかく見ていくと、「天女」で「トリラトリラ」の語があったり、「若子舞」はじめいくつかの演目で「ていどう」の語が出てきたり、「桜子」で太鼓を打ちながらの舞があったり・・・表現の仕方は様々だが、女舞は何かと「音楽」を主題にしようとしているように思える
・翁舞でも神話モノの演目でも音楽がからんでくるものがあるが、少し位置づけが違う
・「女舞の意味」は「女舞と音楽」を考えたほうが見えやすいのかもしれない


・・・という、数年前のメモ書きを改めて見る機会がありました。
間を置いて目にすると、どうもこういったウンチク話というのは、「だから何なのか」という印象が先立ってしまいます。
積もった雪をひたすらヨコに移動するような感じとでも言いましょうか。
実際に演じられる「帝童」がすてきなだけに。
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 by げんぞう
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by torira | 2014-02-28 21:48 | 芸能 | Comments(0)

さんさ踊りの今むかし

今のさんさ踊りは恐ろしいところまで行っていますね!
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先月末に行われた「もりおか郷土芸能フェスティバル」に行き、伝統さんさの一つ、清流会の若手〝わらべ連〟によるさんさ踊りを拝見しましたが、芸能としてのレベルの高さに度肝を抜かれました。
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振り付けが非常に複雑で華やかでありました。そしてフォーメーション(陣形)がどんどん変わる。それを小中高校生たちがきれいに踊り切るのです。

さんさ踊りは盛岡地方の盆踊りということになっていますが、ここでは、夏の宵に皆が三々五々集まってきて踊る・・という牧歌的なイメージからはるかに遠いところまで行っています。
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他の地域よりすぐれたさんさ踊りにしたいと考えたかなりの技術の持ち主が工夫をこらしたのでしょう。こんな芸能が来たら、そりゃあお花もはずもうというものです。

先日ある古本市で「紀元二千六百年記念 水分尋常高等小学校編 郷土教育資料」をふと手にしました。当初ガリ版刷りだったものを、1989年(平成元年)に紫波町の水分公民館が復刻した本です。

1940年(昭和15年)は、明治政府が定めた日本独自の紀元が2600年を迎えるとして、
戦意高揚と国民の精神の統合のために「紀元二千六百年の勅語」が出され、全国的なキャンペーンが展開されたのだそうです。
岩手県下でも「紀元二千六百年記念 」という副題を付けた郷土教育資料が、各地の小学校で制作されています。

戦前の芸能について何かわかるのでは?という淡い期待に反して、記述はほんの数行で終わっています。
「‥季節的なものとして、お盆を中心に若い男女のさんさ踊り(盆踊り)が方々で行われる。今は昔に比べて夜を徹して踊りつゞけるようなことはない。
 年寄り向けの物には念仏にちなんだ遊がある。農閑期を利用して隣近所の念仏仲間連中が一場に会して御詠歌和讃等を朗詠して終わり楽しく過ごす。
 この外、剣舞手踊りなどもあるが年々すたれて行くのは惜しい。」

いぜんは夜を徹してさんさ踊りを楽しんだってことですよね。
剣舞のことなんかももう少し書いておいてくれれば良かったのに!

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紫波町のお隣り、矢巾町の南矢巾さんさ踊りです。古風な衣裳が魅力的。でも踊るテンポはかなり速い。
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先の郷土教育資料では昔のお年寄りはみなさん念仏の心得があったということですね。水分地区は矢巾のすぐ南なのでここでも念仏が盛んだったのではないでしょうか。それが現れているのかな。。

それにしても「剣舞手踊りなどもあるが年々すたれて行くのは惜しい。」って、昭和15年ですでにそんなこと言われていたんだ。
ちなみに2014年現在、紫波町水分地区には剣舞は残されていません。紫波町全体を見ても残っているのは犬吠森念仏剣舞のみです。惜しかった。

 by.事務局MA
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by torira | 2014-02-24 21:54 | 芸能 | Comments(2)

今年の土沢神楽舞初め

花巻市東和町で行われた土沢神楽舞初、午後の部に行ってきました。
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狂言「江戸見物」は、流行語や人気キャラクターが登場する、わかりやすい脚色が施されていました。とりら会長がおばあさん役を!
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大償神楽の師匠さんは「これでいいのだ。あるていどの自由裁量があっていいのだ」とどっかのパパみたいなセリフでほめていらっしゃいました。

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その大償神楽は「天熊人五穀舞」を披露されました。

女舞「潮汲」。
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美しい所作の舞手はいったい誰??と客席では詮索が飛び交いましたが、なんと20代前半の若者が挑戦!

二月は如月ですが「水無月」もありました。
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あまり演じられない演目です。面を付けたまま(つまり、視界がとても狭い)で四人が所作を合わせる場面が多く、見かけより難しい舞なのだそうです。

この日は町内外からたくさんの神楽関係者が見にいらしていて、水無月の解説はそのうちの石鳩岡神楽の方にうかがったものです。神楽の若手が客席に多くて、何か新しい流れが生まれつつある感じがしました。

聞くところでは、午前中には女性の舞手による「普将」が演じられたとのこと!早池峰神楽一番の荒舞を若い女性が舞うなんて、信じられない!
あとで本人に伺うと「最初に神楽を見た時に『普将』に感激して、私もこれ舞いたい!って思って、やっと念願を叶えた」と言うのにはかなりびっくりです。応援したくなりました!

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権現舞。20代の太鼓で実力派が舞う、というこれも新しい展開でした。とりら会長の下舞が見られて満足満足。

神楽の若手と言えば、昨年秋、土沢商店街の名店「きのこのおいよ」で神楽と鬼剣舞とねぶたの好きな工作自慢の小学生に会ったのでした。
自作の権現様で舞って見せて下さいましたが、彼も土沢神楽の一員です。
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このまま育ってほしい才能です。

 by.事務局MA
 事務局MA
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by torira | 2014-02-22 15:38 | 芸能 | Comments(0)

高い芸能

もっかロシアで熱いスポーツの戦いが繰り広げられているところですが、より速く、より高く、というのは誰もが関心を寄せるところです。
今回は芸能とハシゴについてちょっとひろってみます。

もりおか歴史文化館では企画展「南部火消の世界~粋でいなせな男たち~」が3月9日まで開催中。
先日その一環で行われた梯子乗りを見てきました。
高さ7,8メートルあろうかという梯子の上でこんなことしたり。
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あんなことしたり。
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ちょっと怖いですよね〜。しかも土台は固定してないんです。トビで押さえてるだけ。
粋でいなせな南部火消伝統保存会の存在を初めて知りました。

遠野では暮坪(くれつぼ)虎舞が梯子を使います。
梯子に上ったササラスリがこんなことしたり。
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あんなことしたり(頭の血が下がる〜)。
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日清戦争に行った暮坪の方が戦地で習い覚えてさらに練り上げた芸能だそうです。
ここには大槌や釜石の虎舞につきものの和藤内はいません。相当する役は加藤清正ということになっています。

陸前高田市には梯子虎舞がいくつかあります。
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根岬の梯子虎舞は地上からの高さ約18メートルの梯子の上で、こんなことしたり。
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あんなことしたり。
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幕をかぶってるから足下なんかよく見えないんですよこれ。見てるこちらがハラハラします。
高さと度胸の金メダル!

 by.事務局MA
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by torira | 2014-02-19 23:05 | 芸能 | Comments(0)

梅若丸、北へ行く

梅若伝説と岩手の芸能、しつこいと言わずにおつきあいください。完結編であります。
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梅若丸とその母と芸能を司る神様の技芸天の三像を納めた梅若念仏堂@木母寺。

木母寺では梅若忌に大念仏が催されていましたが、残念ながら第二次世界大戦の影響などで大念仏そのものは廃絶してしまいました。
「隅田川文化の誕生」展の図録によれば、江戸時代は梅若忌(三月十五日、現在は4月15日)には大勢の人が集まって大賑わいだったことがわかります。

図録の「梅若伝説にまつわる民俗芸能と年中行事」の項を見ると、福島県西白河郡泉崎村には「梅若念仏踊」が継承されていて、梅若和讃を唱えて踊るとあります。
踊りは母と梅若丸と人さらいの信夫藤太に扮した踊り手が中心で、その他大勢もつくらしい。
盛岡周辺の大念仏剣舞とはだいぶ違った芸能のようです。この機会に「とりら」7号掲載「念仏剣舞の伝播と派生について」安田隼人さんの論考などもお読み頂ければ幸です。
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盛岡周辺の大念仏剣舞には、「隅田川」のストーリーに沿ったキャラや和讃はありません。
残念ながら梅若伝説が書かれた「大念仏のはじまり」を含む巻物を大切にしている、という部分にしか梅若丸との関連は見いだせないのです。このあたり、げんぞうさんのご指摘があてはまるのかもしれませんね。
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しかし岩手県の剣舞と梅若伝説のからみは盛岡周辺だけにとどまりません。
北沿岸部には梅若丸にからむ剣舞の由来を伝える団体が、しかも複数あります。

平成22年(2010)に宮古市教育委員会から出された「宮古の文化遺産」には、宮古市の旧新里村エリアの剣舞3団体の記事に梅若丸が出てきます。
そのうち、下刈屋大念佛剣舞の記述の一部を引用します。
「‥剣舞を踊る前に新発意(しんぽち)という役が述べる口上で、人買い商人に拐かされて隅田川のほとりで病死した梅若丸を弔うために、人々が集まって大念仏を催した回向踊りが剣舞の始まりといわれています。」(同書p.64)

田野畑村菅窪の、鹿踊りから早変わりする剣舞も梅若丸の口上を持っているらしい。注目したいのは、下閉伊郡の剣舞(あるいは鹿踊り)の団体に、「大念仏」という演目を持っている例がけっこうあることです。
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菅窪剣舞

おなじく田野畑村の甲地鹿踊りも、さきごろ盛岡の「おでって芸能館」に出演された際にうかがったところでは
「大念仏という演目を持っている。ナムアミダ・・と繰り返しながら輪踊りをするもの」とおっしゃっていました。はたして梅若の大念仏が北の土地にまで届いているということになるのでしょうか‥。

・・・どなたかこのあたりをもう少し調べて「とりら」に書いてくれませんか?

 by.とりら編集事務局MA
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by torira | 2014-02-12 23:20 | 芸能 | Comments(0)

梅若をたずねて 2

梅若伝説はたいへん悲しいお話です。

貴人の息子、梅若丸が人さらいにさらわれ隅田川のほとりで亡くなってしまう。我が子を探して諸国を放浪してきた母が隅田川べりに来ると、住人達が梅若丸を供養するため大念仏会を行っている。母が嘆きつつ共に念仏を唱えていると一瞬子どもの幻が現れるがすぐにはかなく消えていく・・。
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梅若といえばまずは能の「隅田川」が挙げられるでしょう。室町時代の作です。

隅田川べり散策の目的の1つに、「すみだ郷土文化資料館」がありました。
ここで最近開館十周年記念特別展「隅田川文化の誕生 -梅若伝説と幻の町・隅田宿-」が企画され、図録が出ていましたのでそれを買おうと思っていたのです。
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何年か前に永井の大念仏剣舞が奉納する場で、梅若伝説を由来に持つ大念仏系剣舞をたずねて来た方たちを見かけたことがありました。
彼らの仕事がこの図録にまとめられているに違いない、岩手と梅若に関わる芸能についての何か示唆が得らるのではという期待でした。

ところが!なんと「完売しました」と言われ、失望のあまりがっくり膝からくずおれる‥。
とりあえず本棚の図録をお借りし、資料館のコピー機を利用して関係ページをコピーコピーコピー。

これを読むと、近世の芸能の中で梅若伝説が独特の展開をしたことがわかりました。
江戸時代になると、近松門左衛門による「双生隅田川」が書かれ、それが歌舞伎の人気演目となり「隅田川物」としてたくさんの芝居が書かれたそうです。時代の好みに合わせ、お家騒動が付け加えられたりするなどかなり変化がありました。
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 木母寺にある梅若塚

すみだ郷土文化資料館の二階には「東京空襲の体験画」が常設展示されています。
東京空襲の体験者が自らの体験を描いた絵画が並んでいるのです。これがすごかった。
浅草一帯が火の海となった東京大空襲。隅田川べりに累々とかさなる死者たち。それらを体験された方々の深く重い気持ちが強い絵となって迫ってきます。
私は東京大空襲について何も知らなかったんだなーと初めて気づきました。

ブログokuderazekiで、サイト主の阿部さんがご自身の東京空襲について書いていらっしゃいます。
おととしの記事はこちら。隅田川べりにお住まいだったんですね。
東京大空襲の日は3月10日です。
この記事の日付けは2011年3月10日。そして翌日に東日本大震災が起きました。

天災はあらかじめ知る事ができませんが、戦争は避けることが出来るはずです。
隅田川べり木母寺の大念仏は、戦争の影響などを受けて廃絶したとさきの図録にありました。
なにをかいわんや・・。

向島を歩いていると靴工場がいくつもありました。ちょっとユニークな看板を発見。
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今回の散策で心残りだったのは、せっかく「向じま 志”満ん草餅」本店の前を通りながらその草餅を買わないでしまったこと。まぁ理由はあったんだけど、やっぱり1つくらいは買って食べてみれば良かった!
今頃になって猛然と後悔しています。

 by.事務局MA
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by torira | 2014-02-06 23:37 | 芸能 | Comments(0)

鹿と鉄砲

大船渡市日頃市町の小通(こがよう)鹿踊の方には震災後にこちらのホームページを通じて色々と教えて頂いていました。(ビジュアルも内容もとても充実したサイトです。)
しかしお会いする機会がなく、さきの気仙郷土芸能まつりでやっとお会い出来たので、とりらの募金からお見舞い&お花として金一封をお渡ししてきました。
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今日の演目は、役踊りの1つ「鉄砲踊り」です。鹿の1頭がヤマダチ(猟師)に撃たれてしまいます。
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ヤマダチは鹿を持ち帰ろうとしますが、重くてなかなか引けません。

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中立の鹿が猟師を追い払います。
そして「撃たれた鹿を生かそう 生かそうと魂をこめて歌を唄う この星にいかな山立ち天下り これの御庭で鹿を撃ちそろう 浅手か深手か浅手なら おきて遊べや連れ友達 と唄い生き返らせる」(当日のパンフレットより)のです。
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この構成の意図するところにはどうもよくわからない点があるのですが、見ていると切ない感情がわき上がってくる演目でもあります。
「鉄砲踊り」という役踊りは多少ニュアンスは違えど広く幕踊り系の鹿踊りにも伝えられています。一例として岩泉町の二升石鹿踊りと比較してみましょうか。
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猟師が仕留めた鹿を運ぼうとするのを飛び入りで観客が手伝います。
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岩泉の猟師に撃たれた鹿が一頭ずつ息を吹き返す場面。

小通のヤマダチさんは皮の上衣と蔓で編んだ駕籠に帽子、ワラ沓にワラのすね当てでした。
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弁当を食べたり、キセルで一服したり、アドリブの多いヤマダチの役はベテランじゃないとうまくやれないと言います。(‥キセルってご存じですか?バンドの名前じゃないやつ)

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二升石の猟師はケラを背負って竹籠を下げ、ワラジ履きにお面つきでした。
今、ニホンジカが激増して鹿による食害がかなり目立ってきていますが、猟師さんは逆に高齢化で少なくなりつつあり問題になっています。

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小通鹿踊の踊り手は若手がそろっていました。鹿踊りをやりたくて地元で仕事を見つけた方たちです。
小通地区は震災の直接的な被害はありませんでしたが、職場が被害を受けてしまった方があるそうです。過疎化が進む地域なので、10年後には活動はどうなるだろうか?というのが保存会の心配の種です。震災によってそれが加速されてしまいます。

小通鹿踊りは、その年初めて公演するまえに行う「鹿(しし)おろし」と、最後の公演の後に行う「鹿(しし)納め」という儀礼をお持ちです。
鹿納めについては、岩手県教育委員会から平成9年に出された「岩手県の民俗芸能」という調査報告書の中の小通鹿踊りの項に詳しく書き留められています。
この報告書など、もっと多くの県民が内容を共有できるように、一般に公開されるとか再版されると行われた仕事も生きると思うのですが。。

 by.事務局MA
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by torira | 2013-11-28 23:30 | 芸能 | Comments(0)

学校と芸能

「岩手は民俗芸能の宝庫」とよく言われますが、その「宝庫」を支えてきたのは何か?という事があらためて気になっています。

芸能に関する岩手県の特色の1つとして、伝承活動が学校ぐるみで行われている例が多い事が挙げられると思います。
データが手元にないのではっきりとしたことは言えませんが、1970年代から地元の民俗芸能に取り組む小中学校が急増したようです。

盛岡市東部の中山間地区にある浅岸小学校の子ども達は、地区に伝わる銭掛剣舞に取り組んできました。
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全校児童5名、今年度で廃校になることが決まっています。
毎年11月に学習発表会と収穫祭を行い、その時に剣舞を披露してきました。今年が最後ということで見学を申し入れお邪魔しました。
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講堂には長く保存してきた学校のアルバムが並べられていました。127年の歴史を誇る古い学校です。
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たぶん森口多里が調査に来たときに撮られたかと思う銭掛剣舞の古い写真。

器楽演奏や朗読などのあと、いよいよ剣舞です。
子ども達は、長刀を持って踊る「七つもん」と、扇踊りの「城まわし」を演じました。
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その後、保存会会員の大人達が「出羽(では)」「二十三」「高舘」を踊ります。
小学校の頃に踊ったことがきっかけとなって続けている若いメンバーがいらしゃると聞いて、内心ほっとしました。

学習発表会の終わりに、校長先生からコメントが述べられました。一人ひとりその子の良いところを誉める。これで子どもは成長するんだな、と校長先生のきめ細かな思いやりに感心するのでした。
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その後は収穫祭。学校近くの田んぼをお持ちの方のご厚意で、子ども達は田植えと稲刈りを体験してきました。そこで獲れた餅米で作ったお餅を皆で頂くのです。

学校が統合になるとこういう地域ぐるみの交流が難しくなります。芸能の伝承活動も何かと難しくなります。学校は単なる教育機関ではなく地域の拠点でもあるのです。

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お母さんたちが作ったきな粉餅とあんこ餅、豚汁と漬け物を、生徒と父兄だけでなく地区の方たちも一緒にいただきます。ここに後輩がいるおかげで私もごちそうになりました。これがお世辞ぬきで本当においしいのです。
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校内には給食室がありました。今、盛岡では全地域を一括する小学校給食センター化計画があるようですが、作り手と食べる顔がお互いに見える自校方式学校給食がいいなとしみじみ感じた日でした。
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銭掛剣舞は、明治時代の中頃、今は宮古市となった川井地区の田代から伝わりました。ここから田代へお嫁に行った方のご縁で銭掛に剣舞がもたらされたそうです。
縁談のきっかけを作った関係は何だったのでしょう?
少し離れた銭掛と田代をつないだのは何だったのでしょうか?
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そんなことを考えたみたのが、新発売「とりら」7号の拙稿「高舘剣舞、馬の古道を行く」です。少しまとまりの悪い文章になりましたが、ご一読頂ければ幸です。
7号は今日から盛岡市松園「ちいさな野菜畑」でもご購入頂けるようになりましたのでよろしくお願いいたします。

 by.事務局MA
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by torira | 2013-11-24 23:03 | 芸能 | Comments(0)

師走の夢

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by げんぞう
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by torira | 2013-11-21 22:18 | 芸能 | Comments(0)