短詩としてたのしむ

 ふるさと岩手の芸能とくらしについて、たまに
「この演目はどういう意味があるものなんですか?」
という質問をいただくことがあります。自分は専門家でもないので意味とかはよくわからないのですが、期待されている答えは
「これは△△のストーリーです」
「○○の場面を現しています」
「□□を模倣しているものです」
といったもののようです。
 こういう質問がでる背景には、「歌とかセリフのようなものがある芸能が多いわりには、充分にききとれないことが多い」ということもあるのではないでしょうか。冊子「とりら」第2号所収の「早池峰神楽 歌の楽しみ」では、早池峰神楽の歌について紹介していますので、どうぞご参照ください。
 しかしまあ、全体のストーリーや構成がわかるかどうかはさておき、断片的にきこえる唄を断片のまま楽しむというのも大いにアリなんじゃないかと思います。予備知識があったとしても、一言一句までききとれるということのほうがむしろ稀なんだと思いますし。

 たとえば・・・
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「七月七日という日には」
念仏系のある芸能が墓前で歌う七五調の長い歌(和讃)の一節です。“年に一回、このときだけ”という、時空間の中での孤立感が満ち満ちています。

「華の浄土となりにけり」
盛岡周辺の神楽の「天の岩戸」の一節。そこに至るまでの過程のひどさを想像させます。私たちがいま生きている世界の、なんと浄土に遠いことか・・・などなど、とても気持ちが重くなります。

「ともだちは」
一人立ちシシに広く見られる歌です。「ともがきは」という場合もありますが。シシでさえも友達がいるのに、それにくらべて僕は・・・。という暗い気持ちになれます。

「やんべにたのみますでゃ
「いい塩梅にたのみますよ」の意味です。盛岡周辺の座敷系田植踊りで、土木担当の作業員が、女性の農業労働者に作業を依頼するときの言葉です。唄ではありませんが。仕事を頼まれる側としては、こういう一言がプレッシャーになるんだよなあ。と、ダルい気分になります。


 みなさんも、お気に入りの一節を見つけてみませんか?

 by げんぞう
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by torira | 2008-03-20 15:03 | 芸能 | Comments(0)

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