2016年、高田の「うごく七夕」「けんか七夕」

震災から5年。それなりに元の場所で行われてきたこの祭も、今年は過渡期の試練の中にあります。砂漠のような今の高田ですが、それでもこの丘?の向こうからお囃子が響いて来る不思議さと感激。
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まずは「うごく七夕」から。
高田一中のふもとに大石祭組の拠点となる公民館があります。夜には明かりが入るだろう夢明かりが並んでいました。
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かさ上げされた砂山の上から見下ろす高田町。真ん中奥のガソリンスタンドの看板が見えますか?あの上まで波が来たマークがあります。
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この一角に、川原・中央・大町・森前の各祭組の山車が保管されているので、この4組はここを山車を引いて歩きます。今までよりずっと短い距離になりました。
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荒町の山車はいつもの場所に。
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「来年のことはわかんないね。真ん中の通りが出来れば山車も引けるけど、はたして来年に出来るのかなー。出来る予定なんだけど、どうなるか誰もわからないから。ハッハ」と受付のお当番の方が笑っていました。

和野会館の前で撮りました。(どうもこの辺で帽子を落としたらしい)
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被災した熊本への応援メッセージが。
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米崎町のほうに山車を保管しているのは長砂と松原の祭組。
松原祭組の方は、「来年は道路が出来る計画だし、うちもあっちまで山車が引けるようになって皆そろうんでない?」と希望的観測です。
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「今年の山車の作業は6月1日から始めました。デザインは皆で決めました。ああでもないこうでもないと言って」。元は松原町内会でも今は皆さんおそらくバラバラにお住まいだと思われますが、「皆で話し合って決める」強いつながりが続いていることがわかります。

震災後、祭や芸能が被災者の心の絆になった、とあまりにひんぱんに書かれるので、この美しいことばが当事者の方の負担になったり空回りしているところもあるのではないか、と心配したりします。
でも、(私は年に1,2度高田を訪れるだけなのでうがった見方かもですが)やはり祭をやることで何か切実な力が働くんだと感じた今年でした。

震災後これまで山車飾りの「アザフ」というパーツを盛岡で折って川原祭組へお送りしていましたが、今年は若い世代がイニシアチブを取り、「震災前のように自分たちの力だけで作り上げたい」という前向きな取り組みになりました。若いってすばらしいと感じましたね。

数は減りつつあっても、通い続けているボランティアの皆さんの姿があります。
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一例をあげれば、茨城県から自前でバスを仕立て大勢で山車を引きに来る某会社の皆さん。赤いTシャツがすっかり定着しました。新入社員には必須科目らしい。たいけん学習として参加してる子ども達も混じっていました。

「気仙町けんか七夕」は今年は気仙川の右岸に祭会場を設置しました。
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山車の頂上に立つ役は「笹振り」というんですね。今日のこの短い時間のために積み上げて来た何かを振っています。
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梶棒に取り付いている少年たちの笑顔がまぶしい。
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川原祭組が昼の運行を終えて夜仕様にお色直しをしているところです。ここには、大学が主宰するイベントから自主参加になっても継続参加している東京と大阪の学生さんおよび卒業生の方達がいます。
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今回も「とりら」の募金から、「うごく七夕」の各祭組と「けんか七夕実行委員会」へそれぞれお花を差し上げました。
残念ながら夜の山車を見ることが出来ないまま帰途につきました。
一年後の祭が今から楽しみです。応援しています。

 by.事務局MA
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by torira | 2016-08-13 23:21 | 東日本大震災 | Comments(0)

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