梅若丸、北へ行く

梅若伝説と岩手の芸能、しつこいと言わずにおつきあいください。完結編であります。
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梅若丸とその母と芸能を司る神様の技芸天の三像を納めた梅若念仏堂@木母寺。

木母寺では梅若忌に大念仏が催されていましたが、残念ながら第二次世界大戦の影響などで大念仏そのものは廃絶してしまいました。
「隅田川文化の誕生」展の図録によれば、江戸時代は梅若忌(三月十五日、現在は4月15日)には大勢の人が集まって大賑わいだったことがわかります。

図録の「梅若伝説にまつわる民俗芸能と年中行事」の項を見ると、福島県西白河郡泉崎村には「梅若念仏踊」が継承されていて、梅若和讃を唱えて踊るとあります。
踊りは母と梅若丸と人さらいの信夫藤太に扮した踊り手が中心で、その他大勢もつくらしい。
盛岡周辺の大念仏剣舞とはだいぶ違った芸能のようです。この機会に「とりら」7号掲載「念仏剣舞の伝播と派生について」安田隼人さんの論考などもお読み頂ければ幸です。
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盛岡周辺の大念仏剣舞には、「隅田川」のストーリーに沿ったキャラや和讃はありません。
残念ながら梅若伝説が書かれた「大念仏のはじまり」を含む巻物を大切にしている、という部分にしか梅若丸との関連は見いだせないのです。このあたり、げんぞうさんのご指摘があてはまるのかもしれませんね。
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しかし岩手県の剣舞と梅若伝説のからみは盛岡周辺だけにとどまりません。
北沿岸部には梅若丸にからむ剣舞の由来を伝える団体が、しかも複数あります。

平成22年(2010)に宮古市教育委員会から出された「宮古の文化遺産」には、宮古市の旧新里村エリアの剣舞3団体の記事に梅若丸が出てきます。
そのうち、下刈屋大念佛剣舞の記述の一部を引用します。
「‥剣舞を踊る前に新発意(しんぽち)という役が述べる口上で、人買い商人に拐かされて隅田川のほとりで病死した梅若丸を弔うために、人々が集まって大念仏を催した回向踊りが剣舞の始まりといわれています。」(同書p.64)

田野畑村菅窪の、鹿踊りから早変わりする剣舞も梅若丸の口上を持っているらしい。注目したいのは、下閉伊郡の剣舞(あるいは鹿踊り)の団体に、「大念仏」という演目を持っている例がけっこうあることです。
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菅窪剣舞

おなじく田野畑村の甲地鹿踊りも、さきごろ盛岡の「おでって芸能館」に出演された際にうかがったところでは
「大念仏という演目を持っている。ナムアミダ・・と繰り返しながら輪踊りをするもの」とおっしゃっていました。はたして梅若の大念仏が北の土地にまで届いているということになるのでしょうか‥。

・・・どなたかこのあたりをもう少し調べて「とりら」に書いてくれませんか?

 by.とりら編集事務局MA
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by torira | 2014-02-12 23:20 | 芸能 | Comments(0)

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