「〝浄土〟は動詞である」

「これ、読んでもらえばいいから。私の集大成ですから」
とおっしゃった大矢邦宣さんが、さきごろ浄土へ旅立たれました。
「これ」とは、「図説 平泉」( ふくろうの本 大矢邦宣/著 河出書房新社)のことです。
副題が「浄土をめざしたみちのくの都」となっていて、平泉のユネスコ世界遺産登録に尽力された大矢先生ならではの一冊となっています。
しかしこの本は、単純な平泉ガイドブックではありません。
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なにせ、序章の最初の見出しが「『無知と偏見と不平等』の払拭をめざして」なのです。
ユネスコ憲章の「無知と偏見と不平等によって、戦争は可能になる」という箇所をとったもの。たんに金色堂はエライという話じゃないのです。
藤原清衡は理想郷の建設を武力ではなしに文化の力でもって成し遂げようとした、と続きます。

「ユネスコ精神を実現しようとした文化が、900年前、すでにみちのくにあった。平泉が、世界遺産に登録されたのは当然だったのであり、世界中から争いが絶えない現代にこそ、平泉の精神は受け継がれなくてはならない。」「図説 平泉」p.5より

大矢先生が所長となって設立された「東北文化芸術研究所」発行の「東北文化芸術研究」創刊号(2013年)では、平泉のコンセプトの導線として、現代の平和の危うさがかなり踏み込んで語られています。そのストレートな物言いに、読んでいて心の中で喝さいを叫びました。
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優れた研究者で人望の厚い方ではあるけど、その域を出ないとこちらが思っていた大矢先生は、じつはたいへん積極的な平和主義者だったのでした。

そして何より、「岩手の宝を全力を挙げて再発見し、きちんと評価して人々に紹介しよう」というのが基本的姿勢だったことを、ずいぶんギリギリになって知り、僭越ながら「とりらと同じじゃん」と勝手に喜んだのでした。

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震災後は、釜石市鵜住居の鵜住神社の宝物庫に納められていてかろうじて流失をまぬがれた本尊=十一面観音像(室町時代制作の秘仏)の救出・修復と、「身代わり観音」の制作、観音堂にあった宝物をまとめたパンフレットの制作に心を砕かれました。

1月20日は毛越寺の二十日夜祭ですね。
本尊の模刻である身代わり観音の落慶法要は、3月11日に毛越寺の執事長によって執り行われる予定だそうです。
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延年の舞に先立って行われる常行三昧という行法は慈覚大師が唐から伝えたとされています。日本の伝統と思ってるものには実は大陸由来のものがけっこう多い。

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古道具を買ったらタバコの包装紙でくるんでくれました。この鳩のイラストはドイツのデザイナーによるものだそうです。
あら、知らなかった。でもいいデザインだな〜と思って壁に貼って眺めています。外国製でもいいものはいいじゃないですか。ピース!

浄土はあの世のことじゃない。国土を浄めるという能動的な考え方なんだ、と大矢先生は書いておられます。
その動詞を自ら行おうと努められた大矢邦宣さん。
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない、という賢治のことばをたんなる理想にしてはいけない」とおっしゃった方のご冥福を心からお祈りします。
ああでももう少し延年していただきたかった。

 by.事務局MA
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by torira | 2014-01-11 22:10 | お役立ち情報 | Comments(0)

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