高台に残った手踊り

陸前高田市小友町からいらした藝道宗演歌舞練会(げいどうそうえんかぶれんかい)にも募金からお見舞いを兼ねたお花を差し上げました。
今回のような団体は民俗芸能としては認識されないのかもしれませんが、沿岸住民の方がたずさわっておられる芸能であれば、基本、とりら募金からお見舞いを差し上げたいと考えています。

というわけで、ベテランの皆様による日本舞踊ですかぁ、と内心ちょっとたかをくくっていましたが、踊りが始まってみると、訂正!訂正!訂正!
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「宗演あいや節」は手さばきは美しく重心はしっかり、びしっと決まっています。
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次の「宗演四ッ竹節」も侠気あふれる見事な舞っぷり。あなどれないなあ気仙地方は。

すぐ連想したのは、下北の手踊り。
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15年以上も前、盛岡にいらした青森県東通村の目名大神楽を見ました。
最初からさいごまで見事でしたが、合間に踊った「つきあげ」「追分」の素晴らしかったことが忘れられません。その振りとどこか共通するところがありました。

藝道宗演歌舞練会の方にうかがったところでは、かつて小友の港にカツオ船がたくさん出入りしてお金がたくさん動いていた時期に、青少年に健全な娯楽を、と考えた先祖の方が地元の素封家に働きかけて歌舞伎役者から踊りを習ったことにはじまる会なのだそうです。
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(この帯の結び方が気になります)

明治29年の三陸大津波のときは、その小友村唯出(ただいで)はたいへんな被害を受け、代表の方の家を含め一度は皆、高台に移転した。でも時間がたつにつれ殆どの家が下へ降りてしまい、昭和8年の昭和大津波では再び大きな被害が出た。ご自分の家は高台から動かず、今回の大震災でも被害をのがれたとのことでした。

震災後、同じように芸能のさかんな雫石町の団体から招きを受けてうれしかった。踊りを通じた交流をもっと行っていきたいとおっしゃっていました。

 by.事務局MA
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by torira | 2013-12-02 22:44 | 東日本大震災 | Comments(0)

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