生出の「おいで木炭まつり」
2013年 11月 04日
前から気になっていた「おいで木炭まつり」に行ってきました。
陸前高田市矢作町の生出〈おいで〉地区は、戸数110戸・人口約310人(当日配られていた公式パンフレットより)という小さな集落ですが、1987年に始まったこの祭は県境を越えて広く知られているらしく、たくさんの人がやってきます。
ここで久しぶりに会った宮城県石巻市唐桑町の友人もとっくにご存じだったのはびっくり。
「オレ早めに来たんだけどさぁ、9時半に始まったと思ったらたった30分で商品み〜んな無くなったのよ」と驚く友人。 遅く着いた私たちは買う物がない。う〜む不覚であった。
この日のアトラクション第一弾は、気仙中学校の「けんか七夕太鼓」。2011年の夏に中文祭のステージを拝見して以来です。サークルではなくて学校ぐるみの取り組みとあって代表は生徒会長さんなのだそうです。 とりらの岩手沿岸の民俗芸能応援募金から出すお花をかわいい副会長さんに受け取って頂きました。先生からも丁重なお礼を言って頂き恐縮です。
生出には、生出神楽・生出鹿踊り・三戸剣舞の3つの郷土芸能が3つあり、今年は生出神楽のご出演でした。
演題は「田村二代」。田村将軍利光が家来二人と共に悪蛇と戦って勝利をおさめる場面だそうです。
明治26年に平泉の神楽師匠を招いて始まった神楽です。少人数ながら芸達者が揃っています。背後ではイワナの炭焼きが進行中。
センターには地元の木炭などが展示されています。震災後に撮影された高田松原の写真パネルもありました。
唐桑町の友人が「そうそう。こういう根っこがすんごくたくさん流れてきて処分が大変だった」と指さして言いました。
お昼になるとおにぎりと芋の子汁と漬け物のお振る舞いに長蛇の列が出来る。800食が無料で提供されるのです!そんな祭を27年やってきたって、すごい!
私たちもありがたくお相伴にあずかりました。秋風が肌寒く、温かい汁は浸みました〜。ごちそうさまでした。
そのあと餅まきがあり、「このお餅はおかあさんたちが生出の米で一生懸命作りました〜」というアナウンスが流れました。いいですねえ。 10年来の交流のある立教大学の学生さんたちが撒いていました。生出が気に入って卒業後もやってくるOBがいるとか。
近くには「閑薫院」という気仙大工の見事な技で出来たお寺もあります。
なんだか生出ってふしぎなところだね。その懐の深さには何があるんだろう?と気になってきます。
「木炭まつり」の名の通り、生出は明治から昭和30年代まで木炭の生産で潤って来たようです。
また、スタッフが着ている鹿と紅葉の絵柄の羽織を何気なく見ていたのですが、公式パンフを見たら「明治25年に地元資本で創設された〈有限責任 生出製糸生産販売組合〉が、アメリカと直接取引した際に使用した商標を表しています」と書かれていて、「明治25年にアメリカと直接取引!」と、この地域の心意気に感心してしまいました。
農村と都市との体験交流を通 じ地域の活性化を図って作られた生出の「炭の家 ホロタイの里」は木がふんだんに使われた気持ちのいい研修施設で、泊まることが出来ます。学生さんたちのお宿はここかな。
かねてから「生出は結束の固い地域」とは聞いていましたが、小さな山里の豊かな暮らしをじかに感じてきました。
by.事務局MA
陸前高田市矢作町の生出〈おいで〉地区は、戸数110戸・人口約310人(当日配られていた公式パンフレットより)という小さな集落ですが、1987年に始まったこの祭は県境を越えて広く知られているらしく、たくさんの人がやってきます。
ここで久しぶりに会った宮城県石巻市唐桑町の友人もとっくにご存じだったのはびっくり。
「オレ早めに来たんだけどさぁ、9時半に始まったと思ったらたった30分で商品み〜んな無くなったのよ」と驚く友人。
この日のアトラクション第一弾は、気仙中学校の「けんか七夕太鼓」。2011年の夏に中文祭のステージを拝見して以来です。サークルではなくて学校ぐるみの取り組みとあって代表は生徒会長さんなのだそうです。
生出には、生出神楽・生出鹿踊り・三戸剣舞の3つの郷土芸能が3つあり、今年は生出神楽のご出演でした。
明治26年に平泉の神楽師匠を招いて始まった神楽です。少人数ながら芸達者が揃っています。背後ではイワナの炭焼きが進行中。
センターには地元の木炭などが展示されています。震災後に撮影された高田松原の写真パネルもありました。
お昼になるとおにぎりと芋の子汁と漬け物のお振る舞いに長蛇の列が出来る。800食が無料で提供されるのです!そんな祭を27年やってきたって、すごい!
私たちもありがたくお相伴にあずかりました。秋風が肌寒く、温かい汁は浸みました〜。ごちそうさまでした。
そのあと餅まきがあり、「このお餅はおかあさんたちが生出の米で一生懸命作りました〜」というアナウンスが流れました。いいですねえ。
近くには「閑薫院」という気仙大工の見事な技で出来たお寺もあります。
なんだか生出ってふしぎなところだね。その懐の深さには何があるんだろう?と気になってきます。
「木炭まつり」の名の通り、生出は明治から昭和30年代まで木炭の生産で潤って来たようです。
また、スタッフが着ている鹿と紅葉の絵柄の羽織を何気なく見ていたのですが、公式パンフを見たら「明治25年に地元資本で創設された〈有限責任 生出製糸生産販売組合〉が、アメリカと直接取引した際に使用した商標を表しています」と書かれていて、「明治25年にアメリカと直接取引!」と、この地域の心意気に感心してしまいました。
農村と都市との体験交流を通 じ地域の活性化を図って作られた生出の「炭の家 ホロタイの里」は木がふんだんに使われた気持ちのいい研修施設で、泊まることが出来ます。学生さんたちのお宿はここかな。
かねてから「生出は結束の固い地域」とは聞いていましたが、小さな山里の豊かな暮らしをじかに感じてきました。
by.事務局MA
by torira | 2013-11-04 22:39 | 催しもの | Comments(0)