今も海はつながっている

小田原市米神への旅、続きます。
米神には宿がないのでとなり町の早川に泊まりました。
早川駅のすぐ前の漁港をぶらっと歩いていたら、「米神」の文字が入ったこんな看板が。
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後でここが宿の方の職場だと知って嬉しくなりました。

小田原の海は、三陸に負けず劣らず豊かな海です。
かつて、毎日(毎日ですよ!)何万匹ものブリが捕れた米神漁場。
相模湾の漁業は定置網漁法が主で、「米神」の名は今でも定置網の代名詞のようになっています。

早川駅の近くには魚籃観音があります。
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岩手県民なら「ん?釜石大観音の親戚?」と思ったりしませんか?
あの釜石大観音が抱いている魚は、実はブリだってご存じでした?
こんなところにも、米神の海とのつながりを感じます。

早川の宿は若いご夫婦が営む小さな民宿です。
御主人はバリバリの漁師さん。キラキラ輝く新鮮な魚に歓声を上げました。
高級魚イトヨリやブランドになりつつあるアジ、背黒イワシとイカのお刺身。アジとイカの「なめろう」やキビナゴの唐揚げ、〆鯖はお手製です。
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アジの卵入りのアラ汁に並ぶご飯は小田原産米、デザートは自家製梅酒のシャーベット。
翌日の朝食も、自家製アンチョビを散らしたトマトサラダを始め、お魚+地元で採れた野菜や柑橘類(小田原はみかん栽培が盛んです)、お茶はお庭から摘んだハーブティ、などなどとてもすてきな食卓でした。

御主人はとにかく海が好きで好きで漁師になってしまった方。
お二人の出会いにも海がからみ、明るい室内には全国の浜で集めたという貝殻やガラスの浮き球などがレイアウトされています。生きたお魚までが泳いでいたりして、海に親しむくらしを楽しんでいらっしゃるのがわかります。駅のない米神の宵宮祭りに送迎して頂いたり等、大変親切にして頂きました。
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普通の住宅なので、親戚の家にお世話になるイメージのアットホームなお宿です。
お値段もお手頃。機会があればぜひどうぞ。

「海人の家 民宿くやま」
神奈川県小田原市早川3-16-22
TEL:0465-23-7455 電話予約のみ
泊まれるのは一組4名まで、基本は土~日の利用(他の曜日は要相談)。
神奈川県認定・農林漁業体験民宿


さて話はここからです。
私が民宿のご夫婦に、「じつは岩手県山田町にある絵馬に〝米神〟の地名があって…」と旅のいきさつを話し出すと、
山田町!?山田には漁師として一緒に働いていた知人がいますよ。震災の4ヶ月前に山田に戻られて、当初は心配しましたが、後で無事が確認できました」と目を丸くしながらおっしゃるのには、こっちも驚きました!!
まさかここで山田町の漁師さんとのご縁に出会うとは!
こんな偶然ってあるのでしょうか?
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御主人は、小田原市漁業協働組合に所属して定置網漁をなさっています。
魚の収量が安定し、収入面でも月給制で保証されているため若い漁師さんが集まっているそうです。
こちらの組合長さんのお話がとても面白いのでご一読ください。
小田原市 技人vol.8【定置網漁】高橋征人
これって、岩手でも若い漁業者が育つヒントにならないものでしょうか。

魚影の濃い相模湾は、実は1923年(大正12年)関東大震災の震源地でした。
相模湾周辺、特に米神ととなりの根府川では地震による大規模な山津波に加え、津波にみまわれて大勢が犠牲になったそうです。
鹿島踊りで太鼓を受け持った米神のMさん(今回の訪問をご紹介下さっています)も、当時のご先祖は被災の後、高台に移転し、今はその家をデイサービスに利用されています。

関東大震災で津波があったなんて、知りませんでした!
米神漁港に「津波注意」のサインがあったのはこれだったのです。

この海で網を引いていた岩手の漁師たちがいる。
昭和時代にも、平成の今も。
米神の海をのぞむ斜面には甘夏が実り、みかんの花が咲いて甘い香りがたちこめていました。
文字通りの「みかんの花咲く丘」でした。

※「ブリの森作りプロジェクト」の皆さんが米神の宵宮を紹介されていますので、こちらも参考になさって下さい。

 by.事務局MA
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by torira | 2013-05-26 12:55 | 東日本大震災 | Comments(0)

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