おまつりのしくみ

 「虫追い」「虫送り」などの行事は、かつてはどこにでもあったといわれています。しかし地域によって、手に持つものや発着点でやることは違っています。持つものがハタザオであったり藁人形であったり。さらに終着点では燃やしたり川に流したり放置したり。終着点でのその処理の仕方が、この数十年でも変化してきていたり。

 こういった違いを目にすると、当然のように「この行事では、何を追い払っているのか」「いや、ホウキで掃き捨てる感じじゃなくて、いったん持ちモノに吸い寄せてから追い払ってるんじゃないか」「追い払う虫なり病気なりは、どこから集めてくるのか」「どこへ払うのか」といった疑問が生まれるわけです。もちろん、こういった疑問の対象になるような害虫や病原体の姿が実際に行事の中に出てくるわけではありません。この行事を構成する参加者がどういう意識をもっているか、あるいは一人一人の「意識」というほどではなくても、集団のなかで何がイメージされているかといった問題です。
f0147037_20495694.jpg

 …といったように、年中行事というのは、その行事のしくみについて色々考えさせられるものです。 神楽の師匠と話していても、何でだかそんな話になることはあります。先日リタイヤした師匠に、なんだったかのついでに、人間は死んだらどうなるのかをきいたら
「神様になるんだな」
とのこと。いや、それいうなら仏様じゃないの?とききかえしたら
「なんつうか、あれだな。まず仏様になるんだども、何年かすると、あいつだ。神様になるんだ」
だそうです。まあ、それは芸能そのものとはあんまり関係ない話なんですけどね。

 で、民俗芸能ぜんたいを広く見渡すということになると、自分の場合は案外そのへんを考えないでしまいがちです。 例えば
「剣舞・鹿踊は供養、神楽は神事、田植踊は予祝…といった篤い信仰に根ざしている」
といったぐらいには漠然と思い描くことがあります。じゃあ、供養とは言うものの、それらの芸能では、祖霊はどこから来てどこへ行くと設定されているんですか。神事というけど、集める神・卸す神・託宣する神・送る神は一緒ですか。収穫期と種まきの間におこなわれる芸能は収穫感謝祭じゃなくてホントに予祝ですか。と自問すると、はなはだ自信がありません。

 by げんぞう

[PR]

by torira | 2010-12-01 20:54 | おまつり | Comments(4)

Commented by 一八 at 2010-12-01 21:58 x
政府来年度の「コメ」の生産数量目標を更に減産するとの新聞記事。
過剰生産=価格の下落、そして農家、家庭の「コメ」離れ。
「田植え踊」に未来はあるのでしようか。?

ですから、わが家では三食米飯です。
ガンバレ!「田植え踊」
Commented by okuderazeki at 2010-12-02 16:17 x
一八さん・・・・かっこいいコメントです。げんぞうさんの米毎日食べてます。問題はTPP・・・米離れよりも米離しという感じ、昔めいじ38年生まれの父に言われて耳から離れない言葉があります。「米一粒作るにも1年間百姓が苦労して作るんだら、茶碗の一粒も食べ残すな」と言われた言葉です。父は職人、百姓の経験はありません。生産者と消費者の心がつながっていたんですね。田植踊も日本から米生産が消えたら意味不明の芸能になってしまいますよね。田植踊も農業も一心同体ですね。と思ってます。
Commented by 一八 at 2010-12-02 22:18 x
okuderazekiさん、ありがとうございます。

民俗芸能を守るには、なにより、まず、「コメ食」を!と思ってしまいまいました。
Commented by げんぞう at 2010-12-05 21:34 x
食べたいものを食べればいいのだろうと思うのですが、ほんとに食べたいものは何なのだろう、ということなのでしょう。
一八さま、okuderazekiさま、いつもありがとうございます。

<< 虎舞の思想性 もうすぐお正月 >>