持っているものの価値

田口ランディが岩手県民会館で早池峰神楽を見ていったらしい。田口ランディは読んだ事がない(文系の人間でありながら最近小説はほとんど読んでない)のですが、民俗芸能の文脈でとらえる作家ではないらしいことは見当がつく。ユネスコ無形文化遺産登録になるとこういう事が起きるのかーと思う。

幸田神楽の夜神楽を見ました。この講神楽については、「とりら」3号に阿部さんが詳しく書いておられるのを見て頂くのが良いと思う。神楽のさかんな花巻地方でも、毎年民家で夜神楽を演じる例はとても少なくなった。この神楽講でも先行きが心配されている。
昼の門打ちの後、夜は当番の家を会場に、座敷の畳を上げて幕を張って夜7時から11時くらいまで神楽を演じる。
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幸田神楽の「山の神」、この夜はいつにも増して一段と輝くような舞だった。一番好きな(そして特徴的な)面をはずして座ったまま刀を扱うところでは、舞手の内側に凝縮された力が一手一手にこめられ、それがやがて外に向けて解き放たれていく過程がすごかった。
この神楽の十八番と言われる「鐘巻」も間近で堪能できたし、狂言も絶妙のうまさとおかしさで楽しかった。熱演を受け止めて惜しみなく送られる拍手と笑い。
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いろんな意味で続いてほしい講神楽だけど、安易に「がんばって続けてください」とは言える立場にない。それは畳を上げるのを手伝えばいいとかいう事ではない。暮らして行く中で神楽を必要と感じる気持ちを、住民同士で共有していけるかどうか。神楽を家に迎える晴れがましさと楽しさより、準備ともてなしの煩わしさの方を強く感じるようになると講から抜けてしまう。そうすると当番が廻って来るサイクルが短くなってよけいに各家の負担が大きくなる。

みんな神楽は大好きなのだけど、講神楽が当たり前の存在になっていて、やってもいいけどやらなくてもいいかーと思ってる気配がある。早池峰神楽のユネスコ無形文化遺産登録と自分たちの神楽講とは同じ次元では感じられないのかもしれない。
幸田神楽の魅力と、講神楽が続いていることのすばらしさ。その価値をどういうふうに地元の方たちにお伝えできるのかなー、いつもお世話になってしまう私としては、何がお返しできるかなぁ、と思っているのでした。今年もありがとうございました。

 by.事務局MA
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by torira | 2009-11-17 22:41 | おまつり | Comments(1)

Commented by 阿部 at 2009-11-18 07:42 x
みごとに今の民俗芸能存在の位置を言い当てています。

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